「あの時あ〜すればよかった」なんてよくあります。いわゆる「たら・レバ」論争なんですが、サッカーにおいてもかなりの高確率で「たら・レバ」の話が必ず出てきます。
これは年齢関係なく出てくる話でして、不思議なことにレベルが上がれば上がるほど、「たら・レバ」が増えてくるんです。
人は他人のやることに対しては客観的に見ることが容易にできたりするもんなんです。
しかし自分のことになると、客観的に見ていたとしても、それはあくまで自分本位であり何処かに甘えが生じます。
「たら・レバ」も決して自分ではなく、あくまで第三者を見た結果としてそう言っているのです。
小学校のサッカーでも判断力が良いとかセンスあるなんて言う褒め言葉がたま〜に出ることがあります。
結果が正解でも不正解でも、その判断は今その時の判断としてはベストであったと、周りのコーチーも親もそう見ることが出来れば、判断した子供は素晴らしい判断力の持ち主になるわけです。
あれ?正解あるじゃん!
判断力なんて経験の積み重ねの賜物意外何ものでもない!
僕が思う判断力の結論はこれ以外ございません。サッカーに限らず判断を委ねられるシーンはあります。
仕事でも家庭でも、自分のみであるプライベートでも大なり小なり必ずあるはずです。その時どうすれば良いのかを判断し行動に起こすわけです。
サッカーの判断力を求めるのであれば結局は沢山の判断が求められるシーンを経験する以外ないでしょう。
判断=選択肢
とも言えるので、経験を積み重ね、選択肢を増やすことが大切なのです。
判断数を増やすことである程度解決出来ると感じております。
そもそも小学生の4年生くらいでも、選択肢が目に見えた仲間以外に無いと言う状況に置かれている子供は沢山います。
視野を広げることも判断力を上げる一つの材料であります。

子供のサッカーにおいて判断力が問われるシーンとは?
数あげればキリがないのですが、大枠として
- シュートかパスか?
- どこにパスを出すか?
- 何処でボールを受けるか?
- 自分でドリブル突破するか?
すべてのポジションに当てはまる項目なんですが、結局ボールの出し手と受け手の判断、その他多々ありすぎて細かいところは無しでお願いします。
❶シュートかパスか?
これは判断力を問われる中でも、最も多いシーンでしょう。
何故なら得点により近い、位置で求められる判断だけに、周りから見ても目立つわけです。そしてサッカー素人のママさんでもどっちが正しいかは別として、賛否両論が出来るシーンです。
❷どこにパスを出すか?
シュートかパスか?に似ていますが、これはまさに選択肢の数がいくつあるのか?いくつ見えているのか?が問題になります。
先ほど記載した通り、目の前の子供にしかパスを出せないということは、現時点で、その子の判断数は1つだということです。
❸何処でボールを受けるのか?
これはいわゆるオフザボールやスペースと言われている項目ですね。これもある意味動くことを考え経験していき、出し手との関係性を考慮しながら受ける判断をしていく必要があります。

❹自分でドリブル突破するか?
これもある意味判断になるでしょう。しかしこれは判断力とだけではなく、案外気持ちが弱い、消極的、優しい子供に多く見られるシーンです。
たまにあるコーチからの激励として「自分で行けよ〜」がありますが、これはドリブルで突破できるのに、パスを選択してしまう、判断でもあり気持ちの弱さでもあります。

経験値を貯める為には地道な努力が必要である
ドラゴンクエストなどロープレ世代の僕からすると同じことです。
経験値を貯めるにはひたすら地道にモンスターを倒す。
今から考えると無駄な時間だったかもしれません。子供の頃の大切な時間を無駄に使いドラクエのレベルアップの為にモンスターをひたすら倒し経験値を貯めレベルアップに必死になっておりました。(自己満足)
しかし、今から考えると何処が楽しかったかわからないのですが、それでもドラクエ等はレベルアップしないと、それ以上は進めない状況が必ず訪れ、倒せないモンスターが出てくるのです。(裏技的なものは別よ)
サッカーも同様です。経験値を地道な努力で貯め、判断力をレベルアップさせて行くことで、さらなるステージにも上がれるわけです。
信頼関係による判断力の区別
残念ながらあります。大人も子供もあります。先入観ではなく、すでにその実力がある程度認められている子供と、まだまだサッカーの技術が不完全であり信頼を得てない子供ではやはり違います。
仮に同じプレーをしたとしても、その判断が第三者から見て間違っていると思えたとしても、ミスと呼ぶのか?失敗と呼ぶのかで大きな違いがあるのです。ミスと失敗って同じ感じがしますが、受け手として
- ミス=成功をある程度認められている言い方
- 失敗=成功をまだ認められていない言い方
と勝手に僕は解釈しております。
あえて言うなら判断した子供が正解なのである
結局何なの?って感じの終わり方になってますけど、うだうだと長く書きましたが、最終的にはその時判断したものが、判断するという裁量を持っているわけです。
冒頭にも記載しましたが「たら・レバ」の域を超えることが出来ない、判断力の結果検証に関してあくまで覚めた目線で見るのではなく、「たら・レバ」にも耳を傾けることは大切な振り返りです。
聞くことが出来き、次に活かすことが出来る子供は必ず、判断数が自ずと増えてきます。
それが正解です。
