昔から言われる、「好きこそ物の上手なれと」いうことわざがあります。初めから結論であります。何事も好きなことだからこそ、それに熟中することが出来る。結果として、上手くなるし、成功する。
まぁなんでもそうですよ。子供やサッカーに限ったことでもないです。成功と言っても、世間的に言われている成功者でなくとも、「好きこそ物の上手なれ」を繰り返すことで、その業界や世界で精通した人、達人、職人と呼ばれる人となるのでしょう。
今回はポテンシャルと情熱に関して少し考えます。両方を既に持っている子供は飛ばしてよしですね。
情熱とポテンシャル(身体能力)
サッカーが大好きで、遊びといえばサッカーボールが欠かせない。サッカーに情熱を傾け、練習や試合でも、その気持ちが変わらない。
一方ではポテンシャルが高い、だけど、上手くならない。上手くなる速度が遅い。足も早く、背も高い。ドリブル、パスなど基礎となる技術は持っている。しかし、こと試合となれば、いまいち力が発揮出来ない。
サッカーの基礎が同等なら情熱有利
ポテンシャルが高い子供と情熱がある子供を、あえて比べるのであれば、サッカーの基礎が同等なら情熱のある子供を優先してしまいがちです。
これには理由があります。
サッカーが上手くなりたい気持ちの差
サッカーチームに所属してる子供の中で上手くならなくても良いと思っている子供はいません。後は上手くなりたい気持ちが、どの程度なのか?この差が、サッカーに対する意識や情熱の高低差に繋がります。
よく意識が高い、気持ちが強いなんて表現をします。気持ちが強いという表現はかなり、その子の生活や、子供毎の精神的な成長の差であると思います。
しかし、意識が高いという表現は、やはりサッカーが大好きにならないと、意識が高くなることはないのです。
ただしこれも、子供毎の精神的な成長によって、いつ意識が高くなるかはわかりませんし、サッカーに対する意識は低いままでも、他の事に情熱を傾ける時が来るかもしれません。
今その時の情熱を重視する
情熱は他力本願では始まりません。確かにコーチ達の叱咤激励で、変わる子供もいますが、あくまでそれは意識の高さがあってこそのものです。
ポテンシャルが高く将来性を感じる子供もたくさんいます。
しかし、いくら身体能力が高くても、サッカーに対する意識や情熱が無ければ良い結果は生まれません。
中にはうちの子の方が身体能力は高いはずなんだら、もっと使ったら伸びるはずだ!なんて言わないまでも、心の中で思っている親もいると思います。
しかし、今まさにサッカーが大好きで、意識の高さや情熱を傾けたいと思っている子供を優先して使う、Aチームに昇格させてみる。これは自然な流れなのです。
同じことが言える
意識の高さが精神的な部分に大きく影響するのと同じくらい、ポテンシャルや身体能力も、精神的な成長と年齢を重ねる事で変わりますからね。
ようは、お互い様であり、今だけを見ても仕方がないという事です。ただしこれは親だからこそそう言った温かい目で見て欲しいという事です。
勝利至上主義でなくても、サッカーチームとしては、たくさんの子供達を平等に見る必要があります、平等に見るという事は、その時のサッカーに対する情熱や、技術的に長けている子供達が、試合になれば優先されるという事です。
子供達を横一列で平等に扱い、そこから実力という世界で優劣がつくのです。決して厳しい見方ではないと思います。
何事も続ける事の大切さ
なんでもそうですが、続ける事で見えて来るものも違ってきます。これは、子供自身が見えるものでもあり、親が見えるものもあるでしょう。
センスがないとか、むいてないなんて事は、続けなければわかりません。
まして、小学生という精神的にまだまだ幼稚な部分が多分にあり、いつ何処で好きな事が変わるかわからない。目移りの激しい年齢なんですから。
とはいえ冒頭に書き出した、好きこそ物の上手なれをサッカー以外に見出す時が来た際は、スパッと辞めるのもありだと思います。
まとめ
続ける事の大切さは、好きで無ければ続かないのか?というと、これまた違うのです。子供には習い事と遊び、学校と全てを切って考える事が出来ます。
行けば楽しい。サッカーが好きか?と聞かれれば、首をかしげる。
それでも構わまいのです!
今だけを見ても仕方がありません。意識の高さや情熱は、焚き付けてどうにかなるものではないのです。
いずれ来るべき日が来るかもしれませんし、来ないかもしれません。
一つ言えるのは、たくさん練習してればそのうち精神的な成長と共に花が咲きますよ。そんなもんです。